順徳天皇 / 守成親王
じゅんとくてんのう / もりなりしんのう
(1197-1242)
第84代天皇
後鳥羽天皇の第三皇子。父院の意向で異母兄の土御門天皇に譲られ、14歳で即位。父の院政下で直接政務は行わず、有職故実書「禁秘抄」を記すなど宮中儀礼の復興に努める。1221年、父による挙兵計画に応じ、事前に仲恭天皇に譲位した上で承久の乱を起こすが幕府軍に完敗。父に連座して佐渡への配流となり、同地で崩御した。父や藤原定家の影響を受けて歌人としても秀で、配所では晩年まで歌論書「八雲御抄」の著述に専念していた。
ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり
内裏の古びた軒端に生えている忍草(ノキシノブ)のように、いくら偲んでも偲び尽くせない昔の御代なのであった。
「続後撰和歌集」
「小倉百人一首」第100番
王朝最盛期の聖代を追慕した詠歌
関連人物
- 後鳥羽上皇(第82代天皇):父帝。順徳への皇統を望んで土御門を譲らせた。
- 修明門院(後鳥羽の寵妃):生母。後鳥羽の寵愛を受けるが、乱後に出家した。
- 土御門上皇(第83代天皇):異母兄。乱に不参加ながら自ら土佐へ流された。
- 雅成親王(皇族):同母弟。乱に加担したとして但馬へ流された。
- 仲恭天皇(第85代天皇):第一皇子。4歳で践祚するも乱後に皇位を廃された。
- 寒巌義尹(曹洞宗の僧):同母弟または皇子。道元の弟子として2度入宋した。
- 守貞親王(皇族):伯父。乱後に幕府の意向で治天に立てられた(後高倉院)。
- 藤原範茂(公卿):外叔父で近臣。乱の首謀者として処刑された。
- 源有雅(公卿):乳母夫で近臣。乱の首謀者として処刑された。
- 藤原定家(歌人):和歌の師。
- 忠成王(皇族):皇子。四条天皇の急逝で俄に皇位継承が持ち上がった。
- 北条泰時(鎌倉幕府第3代執権):順徳系の忠成王を避け、邦仁王を皇嗣に擁立。
参考資料
- 「天子摂関御影」より(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
参考リンク
- 順徳院の歌(やまとうた)