白河天皇 / 貞仁親王
しらかわてんのう / さだひとしんのう
(1053-1129)
第72代天皇
後三条天皇の第一皇子。20歳で即位し、後に父帝の遺命に背いて実子に譲位(堀河天皇)。以降、鳥羽・崇徳と3代43年に及ぶ、家父長権に基づく強力な政治「院政」を築いた。父帝の荘園整理政策を継承して摂関家の力を削る一方、近臣の受領層を優遇。また異母弟輔仁親王らの勢力や寺社の強訴に対抗すべく、院直属の武力として北面の武士を配置し、新興の源氏・平氏を採用した。仏教に深く帰依した事でも知られ、法勝寺などを建立している。
賀茂川の氾濫、双六のサイコロ、延暦寺の僧兵。この3つだけは我が思うままにならぬ。
「平家物語」
巻第一『願立』
関連人物
- 後三条天皇(第71代天皇):父帝。輔仁へ皇位を継がせるよう遺命していた。
- 輔仁親王(皇族):異母弟。白河に皇位継承の道を奪われ、冷遇され続けた。
- 堀河天皇(第73代天皇):皇子。院政下で実権に乏しく、趣味に生きた。
- 鳥羽天皇(第74代天皇):皇孫。白河崩御後に実権を掌握した。
- 崇徳天皇(第75代天皇):皇曽孫。「古事談」では白河の御落胤とされる。
- 藤原師実(摂関家):白河と協調しながら摂関家の権勢を維持した。
- 藤原師通(摂関家):師実の子。堀河を補佐しながら白河の専政に対抗した。
- 藤原忠実(摂関家):師通の子。娘の入内問題で白河に疎まれ、一時失脚した。
- 源俊明(醍醐源氏):近臣。院庁別当として白河院政に重きをなした。
- 大江匡房(公卿):後三条以来の近臣。東宮学士を務めるなど重用された。
- 源義家(河内源氏):後三年合戦の影響で貢納を怠ったため一時干された。
- 平正盛(伊勢平氏):所領の寄進を重ね、北面の武士に取り立てられた。
参考資料
- 白河院御影(国立国会図書館蔵)
参考リンク
- 白河院の歌(やまとうた)
(2017/10/14 改作)