法然房源空
ほうねんぼうげんくう
(1133-1212)
平安時代末期~鎌倉時代初期の僧
浄土宗開祖
美作国出身。俗姓は漆間氏。押領使の父を夜討ちで失い、菩提寺へ預けられる。13歳で比叡山へ入って修業に励み、43歳にして専修念仏の立場を確立、下山して東山に浄土宗を開く。一心に「南無阿弥陀仏」と称える教義で多くの人々に受け入れられるが、比叡山や南都勢力からの反発も招いた。さらに門弟が後鳥羽上皇の女官を出家させた事が発覚し、念仏停止の宣旨を下され、讃岐への流罪となる。のち赦免されて帰京し、80歳で往生を遂げた。
私の念仏は、唐や我が国の高僧の方々が説く観想念仏ではありません。
また学問によって念仏の意味を悟ったものでもありません。
極楽浄土へ往生するためには、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と称え、
必ず往生するぞと決心して称える以外に、別に何もないのです。建暦2年(1212)1月23日
「一枚起請文」(抜粋)
関連人物
- 善導(中国浄土宗の僧):法然に影響を与えた「観無量寿経疏」の撰者。
- 叡空(天台宗の僧):師。念仏について意見の対立があったとされる。
- 親鸞(浄土真宗宗祖):門弟。
- 証空(浄土宗の僧):門弟。西山派の祖。
- 弁長(浄土宗の僧):門弟。鎮西派の祖。
- 重源(浄土宗の僧):門弟。東大寺勧進職。
- 熊谷直実(武将):門弟。源平争乱後の無常観から出家したとされる。
- 九条兼実(公卿):庇護者。法然に「選択本願念仏集」の著述を依頼。
- 北条政子(尼御台):書簡で念仏についての教えを受けた。
- 後鳥羽上皇(第82代天皇):女官出家問題で念仏停止の宣旨を下した。
- 明恵(華厳宗の僧):浄土宗を「菩提心の否定である」と批判した。
- 日蓮(日蓮宗宗祖):法然を「諸仏諸教の怨敵」と断じ、念仏を非難した。
参考資料
- 藤原隆信:法然像「披講の御影」(知恩院蔵)
(2017/10/06 改作)