細川頼之
ほそかわよりゆき
(1329-1392)
南北朝時代〜室町時代初期の武将・守護大名
室町幕府管領、阿波・伊予・備後・讃岐・土佐守護
細川頼春の子。父と共に将軍足利尊氏・義詮に従い、四国方面で南朝軍や足利直冬軍と転戦。1367年、将軍義詮の死に際し、嫡男義満の補佐を託され管領に就いた。将軍義満の官位昇進や花の御所造営など幕府権威の確立に努め、半済令の施行や南朝との講和交渉を進める。しかし斯波氏を中心とする諸大名との抗争が表面化、79年に起きた康暦の政変で失脚して領国讃岐へ下った。晩年、義満によって赦免されて上京、幕府宿老として返り咲いた。
人生五十愧無功 人生五十年を生き、さしたる功もないのが恥ずかしい
花木春過夏已中 花咲く木々も春を過ぎ、すでに夏も半ばになった
満室蒼蠅掃難去 部屋中に飛び回るアオバエは、払っても払いきれない
起尋禅榻臥清風 いっそ座禅用の腰掛けでも探し、清らかな風の中で横になろうか「海南行」
康暦の政変後、讃岐下向中に詠った漢詩
関連人物
- 足利義詮(第2代将軍):主。頼之を信任し、後事の政務を託した。
- 足利義満(第3代将軍):主。頼之の補佐を受けながら成長し、後に自立。
- 細川清氏(執事):従兄。失脚して南朝に走り、讃岐白峰城で頼之に討たれた。
- 斯波義将(管領):政敵。康暦の政変で頼之を追放し、代わって将軍義満を補佐。
- 細川頼元(管領):弟。頼之の養子となり、惣領たる細川京兆家を継承。
- 佐々木導誉(政所執事):反斯波派の重鎮として頼之を支持。
- 楠木正儀(河内守護):南朝穏健派として南北両朝の講和交渉に努めた。
- 今川了俊(九州探題):盟友。頼之の推挙で探題となり、九州平定を進めた。
- 春屋妙葩(臨済宗の僧):南禅寺の楼門建造を巡って政争となる。
- 山名氏清(侍所頭人):義満の挑発に乗って明徳の乱を起こす。
(2012/09/14 改作)