真田昌幸 / 武藤喜兵衛
さなだまさゆき / むとうきへえ(1547-1611)
戦国時代~江戸時代前期の武将・大名
信濃真田氏当主
真田幸綱の三男。武田信玄の小姓として仕え、武藤姓を称した。信玄没後の1575年、長篠合戦で二人の兄が戦死したため真田家の家督を継ぎ、信濃上田城主となり、上野沼田を攻略。武田氏滅亡後は織田・北条・上杉・徳川氏の間で家を守り、やがて沼田の領有を巡って徳川家康と対立。上田合戦で徳川軍を撃退後、豊臣家に臣従する。関ヶ原では西軍に属して東軍主力の徳川秀忠隊を翻弄するも、西軍敗北のため紀州九度山へ追放、蟄居の晩年を送った。
関連人物
- 真田幸綱(信濃の武将):父。
- 武田信玄(甲斐の大名):主。喜兵衛の才を寵愛し、直に兵法を教えたという。
- 武田勝頼(甲斐の大名):主。甲越同盟の成立で、上野沼田の攻略を昌幸に命令。
- 織田信長(尾張の大名):主。甲州征伐で武田氏を滅ぼし、昌幸を臣従させた。
- 北条氏直(相模の大名):主。本能寺の変後、旧武田領を巡って徳川と抗争。
- 徳川家康(三河の大名):主。沼田領帰属問題を機に敵対。
- 上杉景勝(越後の大名):主。家康と敵対した昌幸が信繁を人質にして従属。
- 豊臣秀吉(天下人):主。沼田領帰属問題を裁定し、真田氏の自立を支援。
- 真田信之(信濃の武将):長男。妻が徳川方だったため、関ヶ原で父子訣別した。
- 真田信繁(豊臣方武将):次男。大坂の陣で活躍し、後世に伝説化された。
参考資料
- 真田昌幸像(長野県松代町・原昌彦氏所蔵)