武田勝頼の似顔絵

武田勝頼のイラスト

武田勝頼 / 諏訪勝頼

たけだかつより / すわかつより(1546-1582)
戦国~安土桃山時代の武将・大名
甲斐武田氏第20代当主

武田信玄の四男。当初は諏訪氏を継いで高遠城主となり、兄義信の廃嫡により継嗣となる。父の西上作戦を続行し、東美濃・東遠江を攻略して三河へ進出するが、1575年の長篠合戦で織田・徳川連合軍に大敗。のち上杉氏の跡目争いに介入し、北条氏との同盟が破綻して孤立化。また家臣団の離反も相次ぎ、勢力は衰退する。韮崎新府城で領国維持を図るも、信長の本格的侵攻によって天目山麓で包囲され、奮戦虚しく一族と共に自害。名門・甲斐武田氏は滅亡した。

関連人物

  • 武田信玄(甲斐の大名):父。西上作戦の途中で病没。
  • 織田信長(尾張の大名):長篠合戦で大勝し、武田氏一族を滅亡へ追い込んだ。
  • 織田信忠(織田家重臣):信長による武田征伐の総大将。
  • 滝川一益(織田家重臣):信忠の軍監。天目山にて勝頼を討ち取った。
  • 徳川家康(三河の大名):遠江支配を巡って、勝頼と高天神城で交戦。
  • 上杉景勝(越後の大名):上杉氏の家督争いを機に甲越同盟を締結。
  • 北条氏政(相模の大名):義兄。甲越同盟を機に武田氏との関係が悪化。
  • 真田昌幸(武田家重臣):勝頼の命を受け、韮崎に新府城を普請。
  • 木曽義昌(武田家重臣):義弟・親族衆。勝頼を見限り信長へ寝返った。
  • 穴山信君(武田家重臣):義兄・親族衆。勝頼と対立が絶えず、家康へ内通。

参考資料

  • 武田勝頼像(法泉寺蔵)
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