鈴木貫太郎
すずきかんたろう(1867-1948)
明治時代~昭和前期の海軍軍人・政治家
第42代内閣総理大臣
和泉国出身。海軍大学校卒業後、日露戦争の日本海海戦で活躍し、海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長などを歴任。予備役編入と共に侍従長に就き、枢密顧問官を兼務。二・二六事件で遭難するも奇跡的に一命を取り留めた。太平洋戦争が敗色濃厚となる1945年4月、小磯国昭の後任として首相に就任。強硬派を抑えながら和平工作を進めるが、原爆投下とソ連の対日参戦を受け、御前会議でポツダム宣言の受諾を決定。8月15日の玉音放送後に総辞職した。
今日、私に大命が降下致しました以上、私は私の最後のご奉公と考えますると同時に、まず私が一億国民諸君の真っ先に立って、死に花を咲かす。国民諸君は私の屍を踏み越えて、国運の打開に邁進されることを確信致しまして、謹んで拝受致したのであります。
1945年4月 首相就任時の声明