若槻礼次郎の似顔絵

若槻礼次郎,若槻禮次郎のイラスト

若槻礼次郎

わかつきれいじろう(1866-1949)
明治時代~昭和前期の官僚・政治家
第25・28代内閣総理大臣

出雲国出身。旧姓は奥村。帝国大学を卒業して大蔵省へ入り、主税局長、次官を歴任。第3次桂内閣、第2次大隈内閣で蔵相となり、加藤高明の憲政会に参画。1926年の加藤の急死により総裁として組閣するが、台湾銀行救済の緊急勅令案を枢密院で否決されて総辞職。浜口内閣ではロンドン海軍軍縮会議の主席全権を務める。のち立憲民政党総裁に就き再び組閣するも、満洲事変の不拡大方針が失敗して総辞職。以後も穏健派の重臣として和平への道を模索した。

関連人物

  • 桂太郎(第15代首相):若槻が蔵相として入閣。
  • 大隈重信(第17代首相):若槻が蔵相として入閣。
  • 加藤高明(第24代首相):若槻が内相として普通選挙法と治安維持法を成立。
  • 浜口雄幸(第27代首相):協調外交を推進し、ロンドン海軍軍縮条約を締結。
  • 片岡直温(蔵相):震災手形処理を巡る失言で金融恐慌を誘発した。
  • 安達謙蔵(内相):協力内閣運動で閣内不統一による総辞職を招いた。
  • 幣原喜重郎(外相):穏健な国際協調外交を軍部から軟弱と批判された。
  • 伊東巳代治(枢密顧問官):幣原協調外交を転換させるため若槻内閣を攻撃。
  • 岡田啓介(第31代首相):穏健派の重臣として東条内閣打倒工作の中心となる。
  • 近衛文麿(第34代首相):共に重臣として東条内閣打倒を画策。
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