藤原鎌足の似顔絵

藤原鎌足,中臣鎌足のイラスト

中臣鎌足 / 藤原鎌足

なかとみのかまたり / ふじわらのかまたり
(614-669)
飛鳥時代の廷臣
藤原氏の始祖

中臣御食子の子。初名は鎌子。南淵請安に儒教を学ぶが、家業の神祇官は継がずにいた。国政で権勢を振るう蘇我氏を討つべく、中大兄皇子に接近して密議を重ね、645年に蘇我入鹿を暗殺するクーデターを決行、蘇我氏本宗家を滅ぼした(乙巳の変)。中大兄が孝徳天皇の皇太子になると、重臣として政治改革「大化改新」を補佐。白村江での敗戦後は対唐・新羅和平策を進める。臨終に際し、天智天皇から大織冠を授けられ、藤原朝臣の姓を賜った。

内大臣某朝臣(鎌足)は、思いがけぬ間に忽然と身罷ってしまった。どうして天は我が良き人を滅ぼしたのか。痛いかな、悲しいかな、朕を置いて遠くへ逝ってしまった。奇しいかな、惜しいかな、朕に背を向け永遠に離れてしまった。…日夜相携えて共になし、使いに任ずれば朕の心は安らかになり、その言動に疑うところは無かった。国家の事、小も大も共に決め、天下は安寧にして万民に愁いは無かった。これを贈る言葉にしようとするが、どうも卑しく浅はかで足らない。ああ、ああ、どうしようか、どうしようか。

藤原仲麻呂
「藤氏家伝」上巻『大織冠伝』
鎌足薨去に際して天智天皇の恩詔(抜粋)

関連人物

  • 孝徳天皇(第36代天皇):主。政変以前から親交があった。
  • 斉明天皇(第37代天皇):主。
  • 天智天皇(第38代天皇):主。改新政府の改革派。
  • 蘇我蝦夷(大臣):政敵。子入鹿の暗殺後、自害に追い込まれた。
  • 蘇我入鹿(大臣):政敵。東アジア情勢の緊迫化を受け、権力集中を強めていた。
  • 阿倍倉梯麻呂(左大臣):改新政府の保守派として鎌足と対立。
  • 蘇我倉山田石川麻呂(右大臣):改新政府の保守派として鎌足と対立。
  • 南淵請安(学僧):儒教の師。
  • 定恵(学僧):長男。遣唐使に随行して留学した。
  • 藤原不比等(公卿):次男。天智の御落胤という説もある。
  • 藤原仲麻呂(公卿):曾孫。鎌足を顕彰する伝記「大織冠伝」を編んだ。

参考資料

  • 藤原鎌足像(陽明文庫蔵)
  • 菊池容斎:「前賢故実」より

(2017/01/19 改作)

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