堀田正睦
ほったまさよし(1810-1864)
幕末の譜代大名・老中
下総佐倉藩第5代藩主
堀田正時の次男。16歳で藩主となり、蘭学や西洋兵制の導入といった藩政改革を進める。1841年には老中に就任し、水野忠邦の天保の改革にも参与した。ペリー来航後の1855年に老中に再任、開国派として日米通商交渉に対処し、上洛して条約調印の勅許を求めるが失敗。また将軍継嗣問題では朝廷に信任のある一橋慶喜を推して朝幕の融和を図るも、井伊直弼の大老就任により勢力を失う。老中を罷免され隠居に追い込まれ、後に蟄居処分となった。
関連人物
- 孝明天皇(第122代天皇):攘夷論者。条約調印の勅許を求める申請を却下。
- 岩倉具視(公卿):条約調印に反対し、同志の公卿と抗議行動を起こした。
- 水野忠邦(老中):天保の改革に挫折して正睦と共に辞任。
- 阿部正弘(老中):正睦に老中再任を推挙。
- 井伊直弼(大老):将軍継嗣問題で徳川慶福を推し、正睦ら一橋派を排斥。
- 一橋慶喜(一橋家当主):将軍継嗣問題で正睦らに推挙された。
- 川路聖謨(幕臣):開明派官僚。正睦に従って上洛し、条約調印の勅許を求めた。
- 岩瀬忠震(幕臣):開明派官僚。井上清直と共に条約交渉の全権を任された。
- 佐藤泰然(蘭方医):正睦に招かれ、佐倉順天堂(順天堂大学)を開設。
- ハリス(アメリカ総領事):日米修好通商条約の調印を求めた。
参考資料
- 堀田正睦像(佐倉厚生園蔵)