後鳥羽天皇 / 尊成親王
ごとばてんのう / たかひらしんのう
(1180-1239)
第82代天皇
高倉天皇の第四皇子。兄安徳天皇が西国へ下り、祖父後白河法皇の院宣によって践祚。譲位後は土御門・順徳・仲恭の3代で院政を敷き、次第に専制を志向する。源実朝の暗殺に伴う将軍後継問題で鎌倉幕府と確執を深め、1221年に挙兵へ及ぶが幕府軍に完敗(承久の乱)。出家して隠岐に流され、失意の余生を過ごした。朝廷の威を貶めた失政者である一方、蹴鞠・管絃・武芸に長じ、殊に「新古今和歌集」を撰するなど中世屈指の歌人として名高い。
人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思う故に 物思ふ身は
ある時は人を愛おしく思い、またある時は人を恨めしく思う。苦々しくこの世の中を思うがゆえに、あれこれと思い悩んでいる我が身には。
「続後撰和歌集」
「小倉百人一首」第99番
関連人物
- 後白河法皇(第77代天皇):祖父。神器のない状態で尊成を即位させた。
- 高倉天皇(第80代天皇):父帝。尊成の誕生後ほどなく崩御。
- 安徳天皇(第81代天皇):異母兄。平家一門に擁され壇ノ浦で運命を共にした。
- 後高倉院(皇族):同母兄。乱後に新たな治天として擁立された。
- 土御門天皇(第83代天皇):第一皇子。父院の挙兵計画には消極的だった。
- 順徳天皇(第84代天皇):第三皇子。父院の挙兵計画に積極的に参加した。
- 土御門通親(公卿):養女を入内させ、朝政の主導的立場を確保。
- 葉室光親(公卿):近臣。挙兵を諌めながらも義時追討の院宣を発給。
- 藤原兼子(女官):乳母。上皇の取次役として政治力を発揮した。
- 藤原定家(公卿・歌人):「新古今和歌集」撰者の一人。
- 源実朝(第3代将軍):上皇の従妹を正室とし、歌や蹴鞠を通じて親交。
- 北条義時(第2代執権):追討の院宣を受け「朝敵」となるが、京方に完勝。
参考資料
- 伝藤原信実:後鳥羽院像(水無瀬神宮蔵)
参考リンク
- 後鳥羽院の歌(やまとうた)
(2017/10/16 改作)