大正天皇 / 嘉仁親王
たいしょうてんのう / よしひとしんのう
(1879-1926)
第123代天皇
明治天皇の第三皇子。11歳で立太子、22歳で結婚して皇室初の一夫一婦制を実践する。生来病弱ながら皇太子時代は健康を回復し、日本各地を行啓する一方、韓国統監伊藤博文の要請で大韓帝国も訪れた。1912年、父帝の崩御により践祚し、大正へ改元。しかし即位後数年で再び体調を崩し、公務を十分に果たせず、21年に皇太子裕仁親王を摂政に任命。以降、事実上の療養生活へ入り、48歳の若さで崩御した。文才に優れ多くの漢詩を残している。
「夢遊欧州」 夢で欧州に遊ぶ
春風吹夢臥南堂 春風が吹き、南の部屋にまどろめば
無端超海向西方 思いがけず、夢は海を越え西方へ巡る
大都楼閣何宏壮 大きな都の楼閣は何と壮大なことか
鶯花幾処媚艶陽 鳥や花はそこかしこで春の光に映えている
倫敦伯林遊観遍 ロンドン、ベルリン、あまねく遊覧し、
文物燦然明憲章 その文物や制度は燦然として素晴らしい
誰問風俗弁長短 諸国の風俗を取り上げ、その優劣を区別するなど誰がしよう
発揮国粋吾所望 日本は日本の良きところを発揮する、それが吾が望みである明治32年(1899)
21歳の時の御詩
関連人物
- 明治天皇(第122代天皇):父帝。嘉仁親王の渡欧を認めず、実現しなかった。
- 九条節子(貞明皇后):妃。裕仁親王以下、四人の皇子を生んだ。
- 九条道孝(貴族院議員):岳父。最後の藤氏長者。
- 有栖川宮威仁親王(皇族):嘉仁親王を養育。
- 三島中洲(漢学者):東宮侍講として漢学を進講。
- 川田甕江(漢学者):東宮侍講として漢学を進講。
- 伊藤博文(韓国統監):韓国統治の地ならしとして嘉仁皇太子の訪韓を実現。
- 純宗(大韓帝国皇帝):嘉仁皇太子の訪韓時に会見。
- 山県有朋(枢密院議長):天皇から辞職勧告を受けて政治問題になった。
- 原敬(第19代首相):裕仁皇太子の摂政を準備する最中に暗殺された。
- 牧野伸顕(宮相):原と共に摂政設置を進めて実現。
- 裕仁親王(皇太子):第一皇子。父帝の望みだった欧州外遊を果たした。