藤原基経
ふじわらのもとつね
(836-891)
平安時代前期の公卿
藤原長良の三男。叔父良房の養子となる。良房の死後、清和上皇の意向で幼い陽成天皇の摂政となるが、関係が悪化して出仕を拒否。後に未だ若い陽成を退位させ、老年の光孝天皇を擁立する。宇多天皇の即位に際して初の「関白」となるが、就任要請の詔書にある「阿衡(職掌のない名誉職)」を口実に、またも政務を放棄して宇多を牽制した(阿衡事件)。のち娘を入内させて和解したものの、天皇をも屈服させる権勢を世に知らしめる形となった。
関連人物
- 清和天皇(第56代天皇):陽成天皇へ譲位の際に、基経を摂政に任じた。
- 陽成天皇(第57代天皇):甥。基経と対立し、17歳で退位させられた。
- 光孝天皇(第58代天皇):廃された陽成に代わり、55歳で即位。
- 宇多天皇(第59代天皇):阿衡事件に際し、自ら詔書を改める形で譲歩した。
- 藤原良房(公卿):養父。
- 藤原時平(公卿):長男。
- 藤原忠平(公卿):四男。
- 藤原佐世(学者):家司。橘広相への対抗心から阿衡の紛議を基経に進言。
- 橘広相(学者):詔書の起草者。基経に問責され、あわや流罪となった。
- 菅原是善(学者):基経らと「文徳実録」を編纂した。
- 菅原道真(学者):阿衡事件に際して基経を諌め、事態を収拾した。
参考資料
- 菊池容斎:「前賢故実」より