石田三成
いしだみつなり(1560-1600)
安土桃山時代の武将・大名
近江佐和山城主
近江国出身。長浜城主となった羽柴秀吉に近侍し、その覇業に従って能吏として頭角を現す。豊臣政権では奉行の筆頭格として兵站や検地などを管轄、1595年に近江佐和山19万4000石を拝領した。朝鮮出兵では和平交渉や撤兵業務に当たり、武断派諸将との確執を抱える。秀吉の没後、台頭する徳川家康を誅すべく、毛利輝元・宇喜多秀家を擁して「関ヶ原の戦い」に挑むが、小早川秀秋らの裏切りによって敗北。逃亡の末に捕えられ、京都六条河原で処刑された。
関連人物
- 豊臣秀吉(天下人):主君。
- 徳川家康(五大老):秀吉没後の覇権を狙い、関ヶ原で雌雄を決した。
- 毛利輝元(五大老):西軍総大将に擁立されるが戦わずして敗北。
- 宇喜多秀家(五大老):事実上の西軍総大将として奮戦するが敗走。
- 直江兼続(上杉家家老):家康排除のために密かに連携。
- 大谷吉継(豊臣家家臣):旧友。三成の要請に折れて敗北覚悟で参戦。
- 小西行長(豊臣家家臣):三成に呼応して参戦するが敗北、共に処刑された。
- 佐竹義宣(豊臣家家臣):盟友。武断派諸将に襲撃された三成を救出。
- 福島正則(豊臣家家臣):武断派。加藤清正らと共に三成と激しく対立。
- 島左近(石田家家臣):参謀。家康暗殺計画を進言するが退けられた。
参考資料
- 石田三成像(龍潭寺蔵)
- 石田三成像(杉山丕氏蔵)
(2012/11/10 改作)