慈円
じえん(1155-1225)
平安末期~鎌倉初期の天台宗の僧・歌人
第62・65・69・71世天台座主
藤原忠通の子。11歳で延暦寺に入り、出家して密教を学ぶ。実兄九条兼実や後鳥羽上皇の庇護を受けて4度天台座主となり、鎮護国家の祈念と仏法興隆に努めた。歌人としても優れ、上皇とは敬愛し合う間柄だったが、源氏将軍亡き後に上皇周辺で倒幕の気運が高まると、実家の九条家が採る公武協調策を擁護し、上皇とは距離を置く。また承久の乱の前後に歴史書「愚管抄」を著し、神武天皇以来の歴史の変遷を末法思想や道理に基いて明らかにした。
…このように世の道理の移り変わりを明らかにしようとするならば、一切の存在はただ「道理」という二文字が保っているのである。その他には何もないのである。間違った事も道理によるものであると理解し、分別する事が極めて大事なのである。
「愚管抄」
関連人物
- 後鳥羽上皇(第82代天皇):慈円が護持僧を務めた。政治方針では対立。
- 藤原忠通(公卿):父。
- 藤原聖子(崇徳天皇の中宮):異母姉。
- 近衛基実(公卿):異母兄。近衛家の祖。
- 九条兼実(公卿):実兄。九条家の祖。
- 九条良経(公卿):甥。慈円の後援で歌人として活躍。
- 藤原定家(歌人):九条家の家司。歌人として交流。
- 源頼朝(鎌倉幕府将軍):上洛時に会見し、意気投合した。
- 明雲(天台座主):師。
- 親鸞(浄土真宗宗祖):幼少時に慈円から得度を受けた。
参考資料
- 「國文学名家肖像集」より
参考リンク
- 慈円の歌(やまとうた)