藤原忠通
ふじわらのただみち
(1097-1164)
平安時代後期の公卿・歌人・書家
五摂家の祖
藤原忠実の長男。白河法皇に罷免された父に代わり、関白・摂政・太政大臣を歴任。のち鳥羽院政で復帰した父と関係を悪化させ、弟頼長とは近衛天皇への後宮政策で権勢を争い、これら摂関家の内部対立が保元の乱の一因となった。やがて嫡男基実に関白職を譲って法性寺に隠居し、詩歌に興ずる余生を送った。能書家としても知られ、その書風は法性寺流と称される。子孫は近衛家・九条家に分かれ、さらに五摂家として摂関職を独占する事になる。
わたのはら 漕ぎ出でてみれば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波
海原に舟を漕ぎ出し、遠くを眺めてみれば
はるか沖には雲かと見紛うばかりの白波が立っている。「詞花和歌集」
小倉百人一首・第76番
関連人物
- 鳥羽法皇(第74代天皇):忠実・忠通父子の和解を望み中立を保っていた。
- 美福門院(鳥羽法皇の皇后):忠通と結んで忠実・頼長の排除を画策。
- 崇徳上皇(第75代天皇):忠通の長女聖子が入内した(皇嘉門院)。
- 近衛天皇(第76代天皇):忠通の養女呈子が入内した(九条院)。
- 後白河天皇(第77代天皇):近臣藤原信頼と悶着があった忠通を叱責。
- 藤原忠実(公卿):父。摂関職や氏長者職を頼長に与えるべく忠通を義絶。
- 藤原頼長(公卿):異母弟で養子。苛烈な性格のため周囲と衝突して孤立化。
- 近衛基実(公卿):四男。近衛家の祖。
- 松殿基房(公卿):五男。松殿家の祖。後に政争に敗れ摂関家から脱落。
- 九条兼実(公卿):六男。九条家の祖。
- 慈円(天台座主):十一男。「愚管抄」の著者として知られる。
- 藤原基衡(奥州藤原氏):仁和寺を通じて忠通に毛越寺金堂の額の揮毫を依頼。
参考資料
- 「天子摂関御影」より(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
- 「公家列影図」より(京都国立博物館蔵)
参考リンク
- 藤原忠通の歌(やまとうた)
(2017/03/22 改作)