松平容保
まつだいらかたもり(1836-1893)
幕末の大名、明治時代の神職
陸奥会津藩第9代藩主
高須藩松平義建の六男。会津藩松平容敬の養子となり、18歳で家督を継ぐ。1862年、文久の改革で京都守護職に就くと上洛し、公武合体派として尊攘派志士の弾圧を指揮。禁門の変を起こした長州藩を撃退するも、15代将軍慶喜の大政奉還で幕府は消滅、その後の鳥羽・伏見の戦いに敗れて江戸へ逃れた。会津で奥羽越列藩同盟の中心となり、若松城での籠城戦の末に降伏(会津戦争)。明治になり蟄居処分を解かれ、日光東照宮の宮司となった。
関連人物
- 孝明天皇(第121代天皇):京都守護職である容保を篤く信任した。
- 朝彦親王(皇族):公武合体派。八月十八日の政変を指導し、尊攘派を排除。
- 徳川家茂(第14代将軍):上洛時に容保が新選組を用いて警護に当たらせた。
- 一橋慶喜(一橋家当主):将軍後見職。
- 松平春嶽(第16代福井藩主):政事総裁職。
- 松平定敬(第4代桑名藩主):実弟。京都所司代。
- 西郷頼母(会津藩家老):重臣。容保の京都守護職就任に反対して一時解職。
- 近藤勇(新選組局長):京都守護職配下。池田屋事件などに活躍。
- 土方歳三(新選組副長):京都守護職配下。池田屋事件などに活躍。
- 板垣退助(新政府軍参謀):会津戦争の敵将。