丹羽長秀
にわながひで
(1535-1585)
戦国時代~安土桃山時代の武将・大名
尾張国出身。父の死後に織田信長に仕え、その養女を娶った。信長の覇業に従って各地を転戦し、1571年に近江佐和山城主、さらに若狭一国を拝領。また安土山築城の総奉行を務めるなど行政面でも活躍。本能寺の変が起きると羽柴秀吉と合流、山崎の戦いで明智光秀を討った。清洲会議では池田恒興と共に秀吉を支持し、賤ヶ岳の戦いでも秀吉を助け柴田勝家を打破。この功で越前・若狭と加賀半国を領する大大名となるが、その2年後に病に倒れた。
関連人物
- 織田信長(尾張の大名):主君。偏諱「長」を与えた。
- 神戸信孝(織田家一門):四国攻めの総大将を任されたが本能寺の変で頓挫。
- 蜂屋頼隆(織田家重臣):妹婿。長秀と共に四国攻めの副官になっていた。
- 明智光秀(織田家重臣):本能寺の変を起こし、逆臣として山崎の戦いで敗死。
- 津田信澄(織田家一門):光秀の娘婿。本能寺の変への関与を疑われ横死。
- 織田秀信(織田家一門):清洲会議で秀吉・長秀・恒興に擁立された。
- 柴田勝家(織田家重臣):上役。清洲会議で対立し、賤ヶ岳の戦いで敗死。
- 滝川一益(織田家重臣):賤ヶ岳の戦いで敗北後、長秀を頼って一時隠居。
- 羽柴秀吉(織田家家臣):清洲会議を機に信長の天下統一事業を継承。
- 池田恒興(織田家家臣):清洲会議で長秀と共に秀吉を支持。
- 長束正家(丹羽家家臣):長秀没後、秀吉に見出され直参の家臣となる。
- 丹羽長重(若狭の大名):嫡男。のち信長の娘を娶った。
参考資料
- 丹羽長秀像(大隣寺蔵)