徳川家茂 / 徳川慶福
とくがわいえもち / とくがわよしとみ
(1846-1866)
紀州藩第13代藩主
江戸幕府第14代将軍
徳川斉順の長男。祖父は11代将軍家斉。4歳で家督を継いで紀州藩主となる。13代将軍家定の後継者問題が起きると、将軍家との血縁の近さから井伊直弼ら南紀派に擁立され、13歳で将軍に就任。井伊暗殺後の1862年、老中安藤信正・久世広周による公武合体策の一環として皇女和宮を夫人に迎える。翌年に朝廷の攘夷実施の求めに応じ、慣例を破って自ら上洛。のち第二次長州征討の本営大坂城で病に倒れ、敗戦が続くなか21歳の若さで没した。
関連人物
- 徳川家定(第13代将軍):従兄。生来病弱で実子がなかった。
- 天璋院(将軍御台所):養母。家定の正室。
- 孝明天皇(第121代天皇):義兄。攘夷を唱えて幕政に影響を与えた。
- 和宮(孝明天皇の妹宮):正室。公武合体政策の一環で降嫁した。
- 井伊直弼(大老):将軍家斉の継嗣として慶福を推挙し、幕政を主導した。
- 安藤信正(老中):井伊暗殺後に幕政を担い、公武合体策を推進。
- 久世広周(老中):信正と共に公武合体策を推進。
- 島津久光(薩摩藩重鎮):独自に朝廷と交渉し、幕政改革(文久の改革)を建言。
- 大原重徳(公卿):勅使として江戸に赴き、攘夷と幕政改革を要求。
- 一橋慶喜(将軍後見職):将軍継嗣の対立候補。文久の改革で任命された。
- 松平慶永(政事総裁職):文久の改革で任命された。
- 松平容保(京都守護職):京都の治安維持のため文久の改革で任命された。
参考資料
- 狩野派絵師:徳川家茂像(徳川記念財団蔵)
- 川村清雄:徳川家茂像(徳川記念財団蔵)
(2017/08/24 改作)