光明皇后 / 藤原安宿媛
こうみょうこうごう / ふじわらのあすかべひめ
(701-760)
聖武天皇の皇后
藤原不比等の娘。母は橘三千代。16歳で首皇太子(聖武天皇)の妃。729年の長屋王の変後、臣下の身としては異例の皇后になった。悲田院・施薬院などの福祉施設を設けたほか、東大寺・国分寺・国分尼寺の創建を天皇に勧めるなど、仏教興隆に尽力。749年、娘の即位(孝謙天皇)に伴い皇太后となり、紫微中台を設置、甥の仲麻呂を長官に任じて国政に影響力を持った。晩年に聖武の遺愛の品を東大寺大仏に献納、後世に正倉院宝物となった。
我が背子と ふたり見ませば いくばくか この降る雪の 嬉しくあらまし
あなたと二人で見ることができたら、
どんなにかこの降る雪が嬉しく思えたでしょう。「万葉集」
巻第八・第1658番
行幸中の聖武天皇に献じた歌
関連人物
- 聖武天皇(第45代天皇):甥で夫。
- 藤原不比等(公卿):父。母は県犬養橘三千代。
- 藤原宮子(文武天皇の夫人):異母姉で義母。
- 藤原武智麻呂(公卿):異母兄。
- 藤原房前(公卿):異母兄。
- 藤原宇合(公卿):異母兄。
- 藤原麻呂(公卿):異母兄。
- 橘諸兄(公卿):異父兄。
- 藤原仲麻呂(公卿):甥。光明皇后を後ろ盾に権力を掌握。
- 阿倍内親王(皇族):娘。後の孝謙天皇。
参考資料
- 小泉淳作:「光明皇后御影」(東大寺蔵)
参考リンク
- 光明皇后の歌(やまとうた)