北条義時 / 江間義時
ほうじょうよしとき / えまよしとき
(1163-1224)
平安時代末期~鎌倉時代初期の武将
鎌倉幕府第2代執権
北条時政の次男。当初は伊豆江間に分家を立てており、父に従って源頼朝の側近となる。頼朝の死後は継嗣頼家を補佐する合議制に参画。やがて畠山重忠の乱を機に父と対立し、姉政子と協力して父を追い、自ら執権となった。さらに侍所別当の和田義盛を滅ぼして幕政を掌握。将軍実朝の死後、確執を深めた後鳥羽上皇の挙兵に対してこれを鎮圧(承久の乱)。上皇を配流し、六波羅探題を設けて朝廷を監視下に置く事で、北条氏による政権基盤を固めた。
関連人物
- 源頼朝(初代将軍):義兄。義時が身辺警護としての側近を務めた。
- 北条時政(初代執権):父。後妻と共謀して義時・政子らと対立。
- 北条政子(将軍御台所):姉。義時の支援で尼御台・尼将軍として君臨。
- 北条泰時(第3代執権):長男。承久の乱に際し、幕府方総大将として出陣。
- 北条時房(初代連署):異母弟。義時死後に副執権格として泰時を補佐。
- 源頼家(第2代将軍):甥。13人の合議制に義時が最年少で参画した。
- 源実朝(第3代将軍):甥。義時の関与で暗殺されたという説がある。
- 大江広元(政所別当):宿老。義時・政子と協調して幕政を補佐。
- 和田義盛(侍所別当):同僚。義時の挑発で挙兵し、滅亡へ追い込まれた。
- 畠山重忠(有力御家人):妹婿。時政の謀略で義時軍に攻められ敗死。
- 後鳥羽上皇(第82代天皇):将軍後継問題で関係が悪化し、追討の院宣を下した。