加藤高明
かとうたかあき(1860-1926)
明治~大正時代の外交官・政治家
第24代内閣総理大臣
尾張藩出身。旧姓は服部。東京大学法学部卒業後、三菱に入社。のち官界へ転じ、外務省に勤務。第4次伊藤内閣で外相として日英同盟を推進、第2次大隈内閣でも外相となり、中国に21ヵ条要求を受諾させる。憲政会を結成して総裁となり、憲政の常道・元老政治打破・選挙権拡張を掲げた。1924年に立憲政友会・革新倶楽部との護憲三派内閣を組織、翌年に普通選挙法と治安維持法を成立させる。三派崩壊後は単独内閣を発足するが、在任中に病に倒れた。
一は英国からの依頼に基づく同盟の情誼と、一は帝国がこの機会にドイツの根拠地(山東半島・南洋諸島)を東洋から一掃して、国際上に一段と地位を高めるの利益と、この二点から参戦を断行するのが機宜の良策と信ずる。
第一次世界大戦参戦の意図
1914年8月7日 大隈首相邸での閣議にて
関連人物
- 岩崎弥太郎(三菱財閥総帥):義父。加藤の官界・政界進出を後援。
- 伊藤博文(第10代首相):加藤が外相として初入閣し、日英同盟を推進。
- 西園寺公望(第12代首相):加藤が外相として日英同盟改定に当たる。
- 桂太郎(第15代首相):政敵。のち加藤と融和して新党(立憲同志会)を結成。
- 大隈重信(第17代首相):加藤が外相として対華21ヵ条要求を提示。
- 袁世凱(中華民国大総統):第一次大戦中に21ヵ条要求を提示された。
- 清浦奎吾(第23代首相):貴族院中心の超然内閣。加藤ら護憲三派に倒された。
- 高橋是清(立憲政友会総裁):護憲三派。加藤内閣に農商務相として入閣。
- 犬養毅(革新倶楽部総裁):護憲三派。加藤内閣に逓相として入閣。
- 若槻礼次郎(第25代首相):加藤の急死を受けて後継の総理総裁となった。