吉川元春の似顔絵

吉川元春のイラスト

吉川元春 / 毛利元春

きっかわもとはる / もうりもとはる
(1530-1586)
戦国時代~安土桃山時代の武将
安芸吉川氏当主

毛利元就の次男。18歳の時に従兄吉川興経の養子となり、奪い取る形で家督を相続。山陰方面の攻略を任され、弟小早川隆景と共に「毛利の両川」と称される。父元就との出雲遠征では主力として奮戦し、中国地方制覇に貢献。次いで畿内の織田信長の軍勢と転戦、備中高松城の戦いで膠着の末に和睦。天下を狙う豊臣秀吉への服属を拒んで隠居するが、本家の要請で九州平定に参加し、陣中で病没。勇猛な一方、陣中で「太平記」を書写する文才もあった。

関連人物

  • 毛利元就(安芸の国人):父。
  • 毛利隆元(安芸の大名):実兄で主。偏諱「元」を与えた。
  • 毛利輝元(中国の大名):甥で主。父隆元・祖父元就の死後も補佐を受けた。
  • 小早川隆景(毛利家重臣):実弟。瀬戸内・山陽方面の統治や外交に活躍。
  • 吉川興経(安芸の国人):従兄。元春を養子に送り込まれ家督を奪われた。
  • 尼子義久(出雲の大名):居城月山富田城を落とされ、毛利家に降伏。
  • 尼子勝久(尼子氏残党):織田家を頼って本家再興を目指すが敗死。
  • 大内輝弘(大内氏残党):豊後大友氏の庇護で本家再興を図るが敗死。
  • 羽柴秀吉(織田家重臣):中国地方の攻略中に本能寺の変を知り毛利勢と和睦。
  • 吉川経家(毛利家重臣):因幡鳥取城で防戦するが秀吉の兵糧攻めの末に自刃。
  • 清水宗治(毛利家家臣):備中高松城で防戦するが秀吉の水攻めの末に自刃。
  • 吉川広家(毛利家家臣):三男。長兄元長の早世により吉川家を相続。

参考資料

  • 吉川元春像(早稲田大学図書館蔵)
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