織田信長
おだのぶなが
(1534-1582)
戦国時代~安土桃山時代の武将・大名
織田信秀の嫡男。弟や一族との内紛を征して尾張国を統一。領内へ侵攻する今川義元を桶狭間に討ち、さらに美濃斎藤氏も攻略して一躍武名を上げた。1568年に将軍足利義昭を奉じて上洛、「天下静謐」を掲げるが、次第に両者は対立する。越前朝倉氏、近江浅井氏、甲斐武田氏らによる包囲網を撃破し、さらに京から将軍義昭を追い、室町幕府を瓦解させ版図を拡大。しかし安芸毛利氏との決戦を前に、重臣明智光秀の謀反を受け自刃した(本能寺の変)。
諸々の事に欲深く、道理も外聞も気に留められない公方様。世間にはこのように知れ渡り、何も知らない土民百姓までもが「悪御所」と呼んでいるとの事です。かつて普広院殿(6代将軍義教)がそう呼ばれていたと伝えられておりますが、それは格別の事であります。何故このような陰口を叩かれるのか、今こそ御分別を持たれるべきかと存じます。
元亀3年(1572)
将軍足利義昭への17ヶ条の意見書
第17条
関連人物
- 足利義昭(第15代将軍):主。政務を巡って信長と確執を深め、京を追われた。
- 正親町天皇(第106代天皇):信長からの譲位申し入れを歓迎するも流れた。
- 斎藤道三(美濃の大名):岳父。信秀との抗争後、娘帰蝶を信長に嫁がせて和睦。
- 今川義元(駿河の大名):尾張攻略の途上、田楽狭間で信長に急襲され敗死。
- 浅井長政(近江の大名):妹婿。のち朝倉氏との旧誼を重んじ、信長と対立。
- 朝倉義景(越前の大名):将軍義昭を擁する信長の上洛要請を黙殺して対立。
- 武田信玄(甲斐の大名):信長に対抗して西上作戦を進めるが途上で病死。
- 顕如(本願寺第11世):石山本願寺を拠点に、信長と10年に渡って抗争。
- 織田信忠(織田家継嗣):嫡男。本能寺の変を受け、二条御新造で防戦して自刃。
- 佐久間信盛(織田家家臣):最古参の重臣。本願寺攻めの怠慢により追放。
- 柴田勝家(織田家家臣):信盛と共に織田軍の中核として北陸方面を統括。
- 滝川一益(織田家家臣):武田征伐などに功を挙げ、関東・東北方面を統括。
- 明智光秀(織田家家臣):丹波平定に活躍。本能寺の変の原因は不明。
- 羽柴秀吉(織田家家臣):織田政権の瓦解後、事実上の継承者として台頭。
参考資料
- 狩野宗秀:織田信長像(長興寺蔵)
(2017/02/04 改作)