長屋王
ながやおう / ながやのおおきみ
(676/684-729)
飛鳥時代後期〜奈良時代前期の皇族
聖武朝左大臣
高市皇子の第一王子。宮内卿・式部卿を経て大納言に抜擢され、藤原不比等の没後に右大臣に就任。723年に開墾奨励策として三世一身法を施行し、律令制の維持を図る。翌年、聖武天皇の即位に伴い左大臣となり、皇親を代表して太政官の首班となる。しかし聖武の生母藤原宮子への尊称を巡る一件で藤原四兄弟との確執が表面化し、やがて謀反の「誣告」を受けて自害へ追い込まれた(長屋王の変)。自邸で度々詩宴を催す当代一の文人でもあった。
山川異域 この日本と唐は、国土は違えども
風月同天 大空の風や月は、同じ天にあります。
寄諸仏子 同じ仏に寄り添う者同士、
共結来縁 共に来るべき縁を結びましょう。「唐大和上東征伝」
唐の僧へ贈った漢詩
関連人物
- 高市皇子(皇族):父。天武天皇の皇子。
- 舎人親王(皇族):叔父。新田部親王・藤原武智麻呂らと共に長屋を糾問。
- 元明上皇(第43代天皇):岳母。病床で長屋と房前を召して後事を託した。
- 元正天皇(第44代天皇):義姉。長屋を右大臣として補佐を受けた。
- 聖武天皇(第45代天皇):長屋を左大臣として補佐を受けた。
- 吉備内親王(皇族):王妃。政変により王子と共に長屋の後を追った。
- 藤原不比等(公卿):岳父。四兄弟の父。
- 藤原武智麻呂(公卿):四兄弟の長男。政変を主導して後継首班に就いた。
- 藤原房前(公卿):四兄弟の次男。長屋との関係や政変への関与は諸説ある。
- 藤原宇合(公卿):四兄弟の三男。政変の際に軍勢を率いて長屋王邸を包囲。
- 大伴旅人(公卿・歌人):長屋派と目され、政変直前に太宰府へ遠ざけられた。
- 鑑真(唐の僧):かつて長屋が贈った上記の漢詩を思い出し、渡日を決意。
参考リンク
- 長屋王の歌(やまとうた)
(2016/10/19 改作)