足利義昭 / 覚慶
あしかがよしあき / かくけい
(1537-1597)
室町幕府第15代将軍
足利義晴の次男。当初は興福寺一乗院に入り覚慶と号す。兄義輝が暗殺されると奈良を脱出、還俗して越前朝倉氏のもとに寄せた。1568年、織田信長に擁されて入京し、将軍に就任。やがて信長と対立し、周辺大名を糾合して信長包囲網を構築。1573年に挙兵するも制圧されて京を追放、室町幕府は事実上崩壊する。安芸毛利氏を頼って備後鞆で幕府再興を図るが挫折。豊臣政権の確立後、帰京して退位・出家し、山城の一大名として余生を送った。
この度、国々の悪徒を速やかにことごとく平らげたこと、その武勇は天下第一である。我が足利家の再興、これに過ぎるものはない。ますます国家が安泰となるよう、ひとえに願ってやまない。なお委細は、細川藤孝・和田惟政より申し伝えおく。
追記
この度の大いなる忠節により、我が足利将軍家の桐紋と引両紋をつかわす。武功の力に受けられるべき祝儀である。御父・織田弾正忠殿
太田牛一「信長公記」巻一より
永禄11年(1568)10月24日
織田信長への感状
関連人物
- 足利義晴(第12代将軍):父。
- 足利義輝(第13代将軍):実兄。権威復興を目指すが暗殺された。
- 細川藤孝(幕府奉公衆):側近。後に義昭を見限って信長方へ転属。
- 朝倉義景(越前の大名):兄の暗殺を受けて亡命した義昭が寄寓した。
- 織田信長(尾張の大名):義昭を将軍に擁立後、実権を巡って対立した。
- 明智光秀(織田家重臣):義昭と信長の仲介役。
- 浅井長政(北近江の大名):反信長勢力。
- 上杉謙信(越後の大名):反信長勢力。
- 武田信玄(甲斐の大名):反信長勢力。
- 毛利輝元(安芸の大名):反信長勢力。
- 顕如(本願寺第11世):反信長の中心勢力。
- 豊臣秀吉(関白):政権確立後、義昭を山城の大名・御伽衆として遇した。
参考資料
- 足利義昭木像(等持院蔵)
(2017/01/31 改作)