河井継之助 / 河井秋義
かわいつぎのすけ / かわいあきよし
(1827-1868)
幕末の長岡藩士
越後長岡藩家老上席・軍事総督
長岡藩出身。江戸へ遊学し、古賀謹一郎・斎藤拙堂らに入門。また備中の山田方谷に学ぶなど西国でも見聞を広めた。のち藩主牧野忠恭に従い京都詰、江戸詰を経て、1865年に郡奉行となって大規模な藩政・兵制改革を断行する。1868年に戊辰戦争が勃発すると、家老上席・軍事総督として武装中立を掲げて新政府軍との談判に臨むが決裂。やむなく奥羽越列藩同盟に加わり北越戦争へと突入、激戦の末に長岡城は陥落し、敗走中の会津で戦傷死した。
…城に戻り両三年もすれば、もとの繁盛にすることは確かにできるから、御一同共、必死を極めて勝ちましょう。
死ぬ気になって致せば生きることもでき、疑いもなく大功を立てられますが、もし死にたくない、危うい目に遭いたくないという心があろうなら、それこそ生きることもできません。長岡城奪回に向けた藩兵への檄文(抜粋)