黒田清隆の似顔絵

黒田清隆のイラスト

黒田清隆

くろだきよたか(1840-1900)
幕末の薩摩藩士、明治時代の陸軍軍人・政治家
第2代内閣総理大臣

薩摩藩出身。早くから西郷隆盛や大久保利通らの知遇を得て薩長同盟に尽力。戊辰戦争で北陸戦線の参謀として従軍し、箱館戦争を指揮する。明治政府では開拓長官となって北海道の開発を進め、また江華島事件の処理で朝鮮へ渡り、1876年に日朝修好条規を締結。後に開拓使の官営事業の払下げ計画を巡って世の非難を浴びた。88年に首相となり大日本帝国憲法の発布に当たるが、条約改正交渉に失敗して辞任。酒癖の悪さで知られ、不祥事も多かった。

施政上の意見は人々その所説を異にし、その合同する者相投じて団結をなし、いわゆる政党なる者の社会に存立するはまた情勢の免れざるところなり、しかれども政府は常に一定の方向を取り、超然として政党の外に立ち、至公至正の道におらざるべからず。

1889年2月12日 鹿鳴館での「超然主義」演説

関連人物

  • 山県有朋(長州藩士):戊辰戦争で共に北陸道を指揮。
  • 河井継之助(長岡藩家老):北越戦争で奮戦するも敗死。
  • 榎本武揚(旧幕臣):箱館戦争で降伏し、黒田の奔走により助命された。
  • 西郷隆盛(新政府軍参謀):戊辰戦争終結に際し、庄内藩に寛大策で臨んだ。
  • 五代友厚(実業家):開拓使官有物の有利な払下げ条件を巡って癒着。
  • 後藤象二郎(逓相):大同団結運動から退いて入閣。
  • 森有礼(文相):帝国憲法発布の日に国粋主義者に暗殺された。
  • 伊藤博文(班列):帝国憲法発布に際し、立憲政治の重要性を説いた。
  • 大隈重信(外相):条約改正交渉に難航し、襲撃を受けて辞職。
  • 三条実美(首相兼任):黒田辞任を受けて首相を一時兼任。