平清盛の似顔絵

平清盛,平相国,六波羅入道のイラスト

平清盛

たいらのきよもり
(1118-1181)
平安時代末期の武将・公卿
伊勢平氏棟梁

平忠盛の嫡男。父の没後、一門の棟梁として鳥羽院に仕える。保元の乱で後白河天皇方に与して勝利、平治の乱で源氏勢力を一掃し、軍事権門として台頭。昇進を重ねて公卿に列し、50歳で太政大臣となるもほどなく出家。1176年、義妹滋子の死を境に後白河院や近臣との確執が表面化し、鹿ヶ谷事件を機に院を幽閉して政権を掌握。しかし以仁王による平氏追討の令旨で内乱が全国的に展開、福原遷都や南都焼討で対抗するが、戦局悪化の中で熱病に斃れた。

当家は保元・平治の乱以来、幾度も朝敵を平らげ、身に余る恩賞を貰い、畏れ多くも一天の君の御外戚として太政大臣の位に至り、栄華はもはや子孫にまで及んでいる。今生の望みはもう一つもない。ただ思い残すことは、兵衛佐頼朝の首を見ていないことだけが無念である。我が死んでも仏事や孝養もする必要はない。堂塔も建てなくてよい。急ぎ討手を下し、頼朝の首を刎ねて我が墓前に掛けよ。それこそが我が願いだ。

「平家物語」
巻第六『入道死去』

関連人物

  • 平忠盛(平氏の棟梁):父。実父は白河法皇という説もある。
  • 平教盛(平氏の武将):異母弟。清盛に従い、主に貴族社会の内部で活動。
  • 平重盛(平氏の武将):長男。清盛と後白河との対立の調停役。
  • 平宗盛(平氏の総大将):三男。「平家物語」では無能として描かれる。
  • 平知盛(平氏の大将):四男。打倒平氏を掲げた以仁王・源頼政を攻略。
  • 平重衡(平氏の武将):五男。清盛の命を受け、南都焼討を決行。
  • 平徳子(高倉天皇中宮):次女。後白河との協調のために入内し、国母となる。
  • 後白河天皇(第77代天皇):信任していた清盛の増長を疎み、次第に対立。
  • 平滋子(後白河の寵妃):義妹。高倉天皇の生母で、清盛・後白河の紐帯。
  • 安徳天皇(第81代天皇):外孫(徳子の子)。清盛の後援で擁立された。
  • 以仁王(後白河の皇子):平氏追討の令旨を諸国の源氏に発布。
  • 源頼朝(源氏の棟梁):平治の乱で敗れて伊豆に流され、20年後に挙兵。

参考資料

  • 伝平清盛坐像(六波羅蜜寺蔵)
  • 月岡芳年:「芳年武者无類」より

(2017/03/21 改作)

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